2024年度7月号 主題「ここちよく」

今月の聖句は教会の「愛なり号」に英語で「God is Love」と記されているものです。この「神の愛」は無条件の、犠牲的な愛です。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」また、一方的な愛です。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(1ヨハネ4:10,19)

イエス様はこの「神の愛」をもって「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と教えました(マルコ12:31)。「自分のように愛しなさい」とは自己中心的・利己的な愛のことではありません。まずは、神に愛されている者として、自分自身を受け入れることです。そして、その時、初めて、神の愛をもって「隣人を愛する」ことができるようになります。自分に注がれている神の愛が、隣人にも注がれていることを知るからです。そして、神の愛をもってありのままの自分自身を受けいれるように、ありのままの隣人をも受けいれることができるようになるのです。

私たちは自分自身や隣人をありのままに受け入れることに困難を覚えることがあるでしょう。それは愛する条件を自分や隣人に設けてしまっているからもしれません。良い人にならなければ、神に受け入れてもらえないとも考えてしまっている場合もあるかもしれません。何と私たちは神の無条件の、犠牲的な、一方的な愛を必要としていることでしょう。神の愛を受け取りつつ、この一年も互いに愛し合って歩みたいですね。それは「ここちよい」歩みです。

川井信雄


もうすぐ夏。大人は仕事がありますからあまり日常とは変りませんが、時には家族との時間を取られる方が多いのではないでしょうか。そんな時、少し子ども達の目で周囲を見回して、一緒に街に社会に目を向けてみるのはいかがでしょうか。

 先日の花の日、百合丘の消防署、交番、園医の下山クリニック伺いました。出かける前、「消防や警察の方々にお世話になっているね」という話をした時です。「家には泥棒は入ってないし」「火事になったことないし」「僕、泥棒じゃないし」との声。直接お世話になっていなければ、感謝の対象ではない…と感じているかのような話の展開に正直驚きました。この言葉はなぜなのか?それは私たちの暮らし方が子ども達の社会に目を向ける機会や、誰かのために働く喜びや受けるありがたみを実感する機会を奪っているのではないかと思うのです。

 移動は早く効率よく…と車や自転車に頼りがち、買い物の多くをオンラインで済ませ、日々の買い物も(子どもがいない時に行った方が…)と園や学校の間や仕事帰りに済ませることも多いですよね。子ども達と街を歩き、働く人を間近で見、人の手から手へと商品が動き、言葉を交わし表情を交わす。そんな原体験を積み重ねる機会が急激に薄れているのではないでしょうか?それは、私たちの暮らしが様々な人たちの奉仕する心、使命感、働く充実感に支えられていることを感じないままに成長するということになるのです。バーチャルとオンラインと切っても切り離せないこれからの世界で生きていく子ども達こそ、その隠れたところにある人と人との繋がりと温かさを心に刻み込んでいて欲しいと思います。どうぞ、週末にひと時 に、夏のお休みに、子ども達と街を歩き、バスに乗り、人の思いに心を寄せながら過ごしてみてください。子ども達の大きな力になるはずです。

大谷真理子