2026年2月号 「豊かになる」
2026年02月01日
私があなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合うことそれが私の戒めですヨハネ15:12
イエス様は十字架に架かる前夜、ぶどうの木と枝のようにご自身につながっているように教えた後(1-11)、ご自身が私たちを愛したように、互いに愛し合うように弟子たちに命じました。イエス様はどのくらい私たちを愛しているのかは、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくれたことに表されています(13)。イエス様の愛は無条件の犠牲的な愛です。そのような愛は私たちにはありません。むしろ、多くの場合、私たちのうちにある愛は、条件付きで利己的な愛なのではないでしょうか。イエス様の愛の源は神にあります。イエス様は言いました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。」(9)イエス様は、父なる神がご自身を愛したように、私たちを愛してくれました。だからこそ、ご自身が私たちを愛したように、互いに愛し合いなさいと命じたのです。神の愛こそが、互いとの関係の中で必要とされている実の一つなのです(16)。
どんなに美味しいものが食卓に並べられていても、どんなに高価な家や物に囲まれていても、互いとの関係に愛がないなら、豊かであるとは言えないでしょう。真の「豊かさ」とは、互いとの関係が神の愛に満たされている状態にあるのではないでしょうか。問題は、誰も自分が経験したことのない愛を他の人に表すことはできません。園児たちには、これからも神の愛をもってお友だちのために祈ったり、友だちともめることがあれば、神の愛をもって互いに理解し合うようになったりしてほしいと願っています。私たちも神の愛によって互いに愛し合って歩みましょう。
川井 信雄
今、幼稚園では昔あそびを楽しんでいます。カルタ、羽根つき、こま回し、ぽっくり、竹馬…。どれも最近ではじっくり楽しむ機会が少なくなった遊びかもしれませんが子ども達は大好きです。それは子どもが持っている力を、細部に至るまで存分に使って楽しむからです。子どもと道を歩いているとなぜかわざわざ縁石の上を渡るように歩きたがったり、階段があるのに隣の急な坂から上がったりしますよね?これは大人を困らせでいるのではないのです。子どもはどんな時も持っている力を最大限使って自分を成長させようとするのです。これはその表れです。ですから昔あそびは子どもを夢中にさせる要素が満載なのです。手先の使い方、体のバランス、瞬発力や、文字に対する知識、折れそうな心と向き合うこと、そして、友達と一緒の心地よさ、教え合うコミュニケーション…数えきれないほどの力を使うことができます。その証拠に先日年長さんがこま回しに熱中し始めた朝、1時間20分もやり続けていましたし、年中や年少さんは自分でもできるのはどれかな?といろいろ試していました。コマはできなくてもぽっくりなら…と、簡単なものから、少し難しいものに…と挑戦を進めています。そんなときの子ども達の表情は本当に生き生きとして頼もしいものです。
大人のように、自分の成長のために何が必要か?などと小難しく考えることもしないでも、自然に自分を自分で育てようとする貴重な子ども時代には、是非存分に心や体を使って本当の意味で自分を喜ばせ、大きくする体験を積み重ねてほしいと思います。ご家庭でも、ゲームやタブレットを少しの間片付けて、育とうとする子ども達と昔遊びを楽しんでみてください。
大谷 真理子