2025年11月号 「気づく」
2025年11月21日
神は愛です。Ⅰヨハネ4:16
今月の聖句は「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、
その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」とあります。
「賜物」について幾つかのことが分かります。1)賜物は神の「恵み」によって「賜った物」です。
ですから、神に文句を言ったり、他人の賜物と比較して失望したり、自慢したりする必要はありません。
2)それぞれが賜物の「良い管理者」となるように招かれています。良い管理者とは賜物を発見し、
それを用いていく人のことです。
3)賜物を用いる時に大切なことは、それを自己実現や他者支配のためではなく、神と人々に
「互いに仕え合う」ために用いることです。
それは「すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるため」です(11節)。
私たちの社会は能力主義・成果主義です。その価値観の中で、多くの人は自分自身や他者の評価に揺れ動かされながら
生きているのではないでしょうか。
それに疲れ果てているにも関わらず、なおそれから自由になれないのです。
しかし、その価値観の中で生活しなければならなくても、その価値観をもって生活する必要はありません。
この世は賜物の量や質で私たちの価値を評価します。しかし、神は、賜物を与えて下さったこと自体で、
私たちの価値を表しています。
神の目には私たちの存在そのものが価値あるのです。その真理を受けとめ、感謝し、神が与えてくれた賜物を活かす時、
私たちは真に「輝いて」生きることができるのです。園児たちにも神から何らかの賜物が与えられていることでしょう。
神にあって「輝いて」ほしいなと願っています。
川井信雄
収穫感謝の11月。食べ物は自然を通し神様からいただく恵です。収穫を子ども達と楽しむ中で素敵な姿に出会ったのでご紹介です。
先日は年長さんが春に植えた苗の稲刈りに行ってきました。苗がだんだんと大きくなる様子を写真で見ていた年長さんは
張り切っていました。
田んぼでは最初に鎌で稲を刈ります。腰をかがめて目の前の稲をどんどん刈っていく面白さに熱中して、
目の前に道ができるほどでした。
その後は機械刈りを見せてもらい、機械にも少しずつ乗せてもらいガッチャンガッチャンと刈られているリズムも感じました。
その日の帰りの会で『おこめができるまで』という科学絵本見たとき、絵本の中の大きな田んぼを見て
「こんなの全部刈るの大変じゃん!」と声が上がりました。「だから機械で刈るんだよ」と返すと
「でも、自分で刈ったほうが楽しいよ」と返ってきました。
そして「機械だって何回行ったり来たりしないといけないの?100回?」と驚きの声も上がりました。
子ども達は体を使って稲を刈る大変さを実感し、でも自分の手を動かして働く充実感も味わい、
そして機械刈りだからと言って差ほどのスピード感ではないことも知ったからこその言葉です。
実際に体験することで得られる喜びや知識は、絵本やメディアに触れたときに得られるものを何倍にも深くしてくれます。
それは体験に基づいて想像することができるからです。子ども達は収穫したお米の他にも心の中にこんなにたくさんの
収穫をしたのですね。
バーチャルでなんでも体験できているような気持になる現代ですが、それを生きた知識にするのは実体験ということを
改めて教えてもらった稲刈りでした。
大谷真理子